大学受験日記

適応障害の受験生 迷走 思ったことをつらつらと

病気である自分を受け止められないで余計に悪化してしまう

今まで勉強してこなかったことが浮き彫りになってしまうことへの恐怖からか、それとも今からどれだけ足掻いたとて今年合格するほどに上がる気がしないという不安からかはわからないが、共テの古文問題集を開き、シャーペンを持った途端に手が震えた。動悸がして参考書を開いたまままでいるのとでさえもできなかった。今からやればまだ間に合うかもしれないという心の底の微かな希望が勉強しようとする自分を息苦しくなる程締め付けてくる。もう2ヶ月は受験勉強から離れているはずなのに緩むことのないこの締め付けをどう解けばいいのだろうか。離れたからこそ一層強く締め付けられてしまったのだろうか。締め付けられる度に逃げたくてたまらなくなる。受験勉強をしなくていいと言ってくれる周囲の声を聞いてほっとするが、出来損ないの自分を受け止め切れないだけで病気でも何でもないような気がする。何もしないでいたいという欲求があまりに強すぎる怠惰な人間が偶々病気として認められてしまったとしか考えられない。

自分のことを客観視せずに根拠のない希望を抱く

小学生の頃から教室という閉鎖された檻の中で先生という知らない大人と無作為に集められただけの同級生と多くの時間を過ごさなければならない学校が苦手で仕方がなかった。高1の時から不定期にベッドから一歩も出ることができず、指さえも動かしたくない期間が2週間程続き、ふっと立ち直るというのが年に4、5回あった。一度だけ希死念慮がある時期もあった。過敏性腸症候群を元々患っていたので、所謂HSPとか、何かしら人より精神的に弱めだからだろうとそこまで気に留めなかった。(進級に影響しない程度だったので)中3の終わり頃から東大を目指して受験勉強を始めたのだが、高3の4月に精神的に自分で追い込んでしまったせいでうつ状態になり、塾も国立受験も辞めた。志望校だった大学の学生になることで、頭一つ抜けていると言う世間の評価を自分もつけられてみたかった。高3の冬になった今、自分はそんな器ではなかったと思うので後悔はしていない。うつ状態を抜け出せたのはゴールデンウィーク明けだった。国立志望を辞めた後、早慶志望に変え、受験科目を国英世にした。早慶の数学受験は東大志望や理系も参戦するらしいので倍率は低いが、数学が苦手で国立大を諦めたような奴に受かるはずがないと思った。前に通っていた塾のカリキュラムのせいで英語と数学しかやってこなかったので国語と世界史はほぼ0からのスタートだった。(中学受験経験者の受験生は世界史の勉強が高3になるまでにほとんど終わっていない限り絶対に日本史にすべきだと個人的に思う。)うつ状態を抜け出せたはずなのだが、現在11月の今までまともに机に向かえていない。夏休みはほぼスマホを見て1日が終わった。集中が続かず、焦燥感が膨らむばかりで勉強計画を実行できない。パラパラと参考書見ても何も頭に入ってこない。ただ自分が怠惰なだけでやる気がないだけだと思ったので6月に通い始めた心療内科ではずっと言い出せなかった。(これは今もやる気がなかっただけではと思っているが)9月には塾や学校を休む日が増え、希死念慮が強くなり、首を死なない程度に何度も締めた。10月に入り、1日も学校へ行けなくなり、定期試験も受けられなかった。通院中の病院で適応障害だと診断された。今月は単位が危うい科目の授業を受けるために1日だけ登校できた。あと2週間で自由登校になる。そこまで頑張らねばならない。

 

受験勉強は高3になってからほとんどやっていないが、英語と数学だけは成績がそこそこなので奇跡が起こらないかなと心のどこかで期待している。世界史はほぼ何も覚えていないが。こんな状態で今から奇跡の回復を遂げて受かってしまうなんていう夢物語などありはしない。浪人のことを、来年の生活のことを真剣に考えようとすると、腹痛がして不安が強くなり、浪人すると科目ががらりと変わってしまう不運な代なのだが、浪人は避けられないだろう。あと数ヶ月もすれば、浪人受験ブログになっているだろう。

高尚なことをするよりも俗なことの方が意外と効く

午前3時に目が覚めた。昨日の朝からつけっぱなしだったコンタクトレンズが乾燥したせいで目が開かなかった。昨日の夜は突然、じわじわと漠然とした不安に襲われ、飛び込むようにベッドに入り、疲れて寝落ちるまで不安に対する恐怖に怯え続けた。風呂に入らず、パジャマに着替えることもないままだったので一通りのことを済ませ薬飲んでベッドにまた戻った。昨日はだいぶ早く寝たので二度寝できる気がしなかったのでスマホを見てゴロゴロしていた。最近は非生産的な行動は時間の無駄だと思い、なろう小説を読むのを辞めた。しかし、習慣というのは恐ろしいものでついサイトを開いてしまった。テンプレで現実味のない小説を読むのは頭を空にして前話を思い出しながら話の世界の設定を理解しなければならないため、一時的ではあるが意外にも不安から解放された。ありがとうなろう小説。相変わらず、サイトを閉じた後の時間を無駄にしたような気がしたが。ちょうど薬が効き始める時間であっただけでなろう小説のおかげとは言い切れないような.....

 

Youtubeを見ながら寝落ちして10時に目が覚めた。昨日は7時に寝ていたらしい。どれだけ寝るんだ自分。カラヤンを聴きながら、家にあったピカソの作品集を眺めていた。ピカソルネサンス期のなんでもできる系芸術家に憧れを持っており、それに影響されて色々手を出してみたらしい。自分は昔から才能や知性ある他にはない何かを持つ人に憧れを持っている。色々とできそうなこと、好きそうなことに手を出してはすぐに辞めてしまう。今もそのような人になることを諦めきれていない。目標が未だに見つからず、努力し続けることもしていないのに。これからも“何か”を持っている気配を全く感じない自分に絶望し続ける。