大学受験日記

適応障害の受験生 迷走 思ったことをつらつらと

正常な人間

自分が気の狂った怪物にしか見えない。電車に乗っても学校へ行けたとしても怪物が間違って混ざってしまっただけだ。醜い怪物。奇声を発して暴れて自傷行為をし、モノを殴る。気が狂いそうだと言いながらやってしまったこの行為は既に気が狂ってしまった人の行為と言えるだろう。気が狂いそうなほどの精神の異常を感じ、実際に気が狂ってしまった。薬も効かない。昼の数時間だけが軽い不安感を抱くだけで正気でいられる僅かな時間だ。朝も夜も頭がおかしい。一刻も早く外に出て社会生活をするために戻らねばと思ったが、こんな怪物を外に出していいものか。何度も病院に行っている。いついい薬に出会えるだろうか。薬で落ち着いた怪物は外に出ていいのか。睡眠導入剤が効くまでこの訳のわからない不安と恐怖と闘いながらもがき続ける。ただの適応障害なのか?最近他の病気が合併してしまっているような気がする。最近追加されてきた症状が増えているような...

卒業できるのだろうか...

私には無理だった、他の人が誰でもこなせるはずの目の前のタスクをこなすことが。自分に娯楽など与えずに机に縛りつければ乗り越えられるのだろうか。娯楽を一切やめて学生としてこなすべきタスクを黙々とやるべきなのか。息抜きと称して勉強以外のことをすると、思考も行動もどんどん沼にハマって抜け出せない。側から見たらただ勉強しなかった怠慢な学生がテストをサボったように見えるのだろうが、不真面目な学生とはまた違う。年々崩れている心がその日になると体を動かすまいと支配しているような、そんな感じでベッドから動けなくなり、食欲が失せて、自分が動くことを阻止しようとする思考が止まらない。

 

今日は病院で黒に近い白の診断書をもらってなんとか許してもらう。一体誰に許しを乞うてるのか。書面にして自分の成長を監視している周囲の人間を無理矢理にでも納得させられていればいいなと思う。私は病気だから、しょうがないのだと。

 

病院での医師との会話がこの世で2番目に嫌いだ。体の不調で来ているのになぜ愛想笑いで世間話をしなければならないのか。

適応障害になってしまった原因を探る2

自分の文をざっと見て思ったが、何も考えずにただ書いているだけなので矛盾が至る所にあって自分で読んでいて笑えてくる。原因を1つだと思っていたことがアホらしく思えてきた。おそらく、複合的に要素があるせいでこのタイミングで適応障害になったのだろう。ただ、原因探しをやめるつもりはない。いくら1つではないとはいえ、大きな要素というのはあるだろう。それを1つでも取り除けば、少しは楽になるかもしれない。そう思わずにはいられない。そう思わないと心がもたない。

 

周りの多くの人に迷惑しかかけていない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで早く消えたい。涙を出す気力もない。

 

適応障害になってしまった原因を探る1

私は人間としての根本的な何かが人よりも欠けている、もしくは劣っているせいである一定の時期になると怠慢になってしまう。時間を作って休めば改善されるが、元の社会生活に戻されるとそれを繰り返す。何が原因かはっきりさせなければこの先もずっと苦しみ続けることになるのだろうが、見当もつかない。一体自分のどの部分が自分自身をこんなにも苦しめているのか。

心理学を少し齧ってみたものの、自分の悩みに少しもかすりもしないことばかり書いてあってちょっと心理学を知っているだけの人になっただけだ。

この根本的な何かは自分がここ数年で失くしてしまったのだと思う。数年前は同じ状況でも何とも思わなかったから。もしかしたら欠けたのではなく、要らないものを得てしまったのかもしれない。捨てることができるのなら、早く捨ててしまいたい。

 

 

今までは得体の知れない焦燥感が怠慢を生み出しているのだと思っていた。だが、最近は焦燥感を生み出す何かが自分の中に現れてしまったのだろうと思い始めている。

軽い希望を抱いて東大を目指し、レベルの高い本気で東大を目指す環境に入ってしまったがために覚悟が足りず、自尊心が削られ、自信を失ったのが原因なのか...あの頃は自分の現状を全く把握できずがむしゃらにただひたすら通うので精一杯だった。ちょうど時期が被っているので原因がそれくらいしか考えられないが、そこまで精神的に追い詰められていた覚えはないのだが...

中学、高校と年齢が上がるにつれ、どんどん何かが脆く崩れ落ちていっている感覚があったことは自覚している。どちらかといえばそれが原因なのでは?

症状が強い時に思うこと

病むと高尚な本やら絵画の時代背景やらを学んで作者と己を対比したくなる。

カフカゴッホは生きづらそうにしながら世間から評価されず一生を終えているようで何だか安心した。

同じように社会に自分から勝手に苦しめられている人間がいたことがわかったから。ただ、人生は波があるだけで今の自分は悪い時期なだけだと言い聞かせてここまできたのに、一度も大きな幸運が訪れることなく死にゆくこともあるということも同時に再認識させられた。特に何か目標があるわけではないけれど、重力が強すぎるかのように動かないこの体と荒んだ心でこの先もずっと生きていくことになる可能性があるのかと思うと自分は耐えられるのかと考えてしまう。

高校最後の年がこんな絶望と怠惰だけの日々を過ごして良いものかと思ったが、幼稚園も小学校も中学校も最後の日に感傷に浸った覚えがあるだけでその日の内容はさっぱりなのでこんな過ごし方もまあいいだろうと受け止めることにした。そうすることでしか自分の現状を受け止められない。

 

 

睡眠は負債が膨れ上がる一方で返済も貯金も受け付けてくれないらしい。闇金よりもひどいじゃないか...

最近意図的に寝落ちすれば不安感を誤魔化して寝れるようになったけれども一向に症状が改善されない。ずっと睡眠不足のせいでこんなことになっているんだと思っていたのに別に直接の原因ではなかったらしい。なら一体何を改善すればいいのか。

比較せずに自己を高めるには?

誰かと比較せずに生きられないと言っても過言でないほどに比較ばかりして生きている自覚がある。自分よりも受験生活が上手くいっている人や高校生活を満喫している人、容姿に優れた人、博学な人を実生活はもちろんSNS上で見つけては自分と比較して勝手に落ち込み、その人との違いを分析することに一日のほとんどの時間を割いては明確になってしまった違いと無駄なことに時間を使い、一日中何もしなかったことにさらに落ち込む。自分で自分の首を絞めているのはわかっているが、どこへ行こうとも何をしようとも比較し続ける。なぜ比較してしまうのか。

ネットと現実は思った以上にかけ離れている 百聞は一見にしかず

やっと治ったと思ったが、今日は朝が全くダメだった。起きれない。今もベッドから動けない。昨日はとても調子が良かったのに勉強が全く手につかなかった。やはりただのサボりでは?

昨日の夜に明日は悪くなりそうだと何となく予感がしたが、的中してしまった。それを予測しなければ、悪くなりそうとさえ思わずにいれば、今日は普通の生活ができたのでは?

たられば言ってもどうしようもないが、反省点が多すぎて自分の出来の悪さに嫌気がさす。

今までこれといった挫折もなく、可もなく不可もなしな人生を歩んできたので大きな困難のない全てがうまくいく人生だけを想像してきた。他人から理解され難い苦痛に耐えながら、完治したかしてないかよくわからない日々を送ることになるとは、、、

ぼんやりといつか精神疾患を患うような気がしていたが、まさかこんなにも早くになるとは思わなかった。精神疾患にかなり理解があるつもりではあったが、実際になってみると、目に見えない、治ったのかわからない、理解されにくいといった辛さや純粋に想像以上に症状そのものが辛さがある。ネットではうつ病適応障害は風邪のようなもので誰にでも発症しうると書かれているが、風邪というよりはとてつもなく治りが遅く、治療法が人によってまちまちで手探り状態のインフルエンザだろう。風邪と言われると妙に軽そうに感じられる。

今回症状が戻ったのは治ってきたと思って睡眠を疎かにしたことだろう。マイスリーを半錠にされて効きにくいのが主な理由だと思うが、、、  薬を使ってでも健康的に睡眠、食事、運動をして寛解しなければ、受験日を無事に終えられそうにない。一刻も早く全てが終わってくれ。